Pick Up

879. 食料・飼料安全保障に対する農薬削減の影響

関連プログラム
情報

 

879. 食料・飼料安全保障に対する農薬削減の影響


国連環境計画は9月末、化学物質の適正管理に関し、自主的かつ多様な主体が関与する世界的な枠組み「Global Framework on Chemicals 」が合意されたことに対し、歓迎の意を表明しました。

ドイツのリーダーシップで進められていた本枠組は、多様な分野における多様な主体によるライフサイクルを通じた化学物質管理を目指しており、ようやく、ハイレベル宣言によって合意された形となりました。この枠組みのもと、28のゴールが設定され、各国政府は2030年までに化学物質汚染削減と安全な代替品推進に資する政策・制度環境整備を目指していくことになります。目標の一つは、新たな化学物質の適切な管理法と気候・生物多様性・人権・健康アジェンダとのリンク強化を謳っています。

枠組みはまた、農業分野においてこれまでリスク管理が困難で代替品のなかった特にハイリスクな化学農薬を2035年までに段階的に廃止することを求めています。農業分野において、近代的な生産システムは、収量向上のための肥料や病害虫防除における農薬など、化学物質に大きく依存してきました。生産技術に変化がなければ、農薬削減を行うことで農産物の収量減が想定されます。最悪の場合、収量の減少は食料価格の上昇、輸出入量の変動などを引き起こし、食料安全保障に影響を及ぼすとする議論もあります。


9月21日にNature Food誌にて公表された論考は、ヨーロッパにおける農薬の環境負荷の影響と食料・飼料安全保障に関する短期的および長期的な損失と効果についての議論を紹介しています。その内容を紹介します。

欧州グリーンディール政策は、欧州での生物多様性の喪失を食い止めるという公約の履行のために、EU域内全体での化学農薬の使用量とリスクを2030年までに50%削減することを目指しています。2020年6月、欧州委員会は、グリーンディールの目標に向け、化学農薬の使用量とリスク、および有害物質の使用削減に関し、植物防疫産品の持続的利用に関する規制(the Sustainable Use of Plant Protection Products Regulation:SUR) 案を承認しました。SURは農薬削減目標を含め拘束力ある初めての規制ということで重要なマイルストーンと見なされています。ただ、SURは科学者から広く支持を受ける一方、ロシアによるウクライナ侵攻が欧州の食料・飼料安全保障に不確実性をもたらす中、欧州評議会はSURの潜在的な影響についての追加的な科学的エビデンスを求め、SURの議決は2023年7月から10月に延期されました。

こうした背景をもとに、Nature Food誌論稿は、農薬削減の作物収量への影響について分析した研究からの情報を整理しました。多くの分析は、EU全体における農薬削減は、一般的に収量削減により食料価格の高騰、輸入の増加・商品作物輸出の削減をもたらすと推計しました。EU全体のインパクトは、穀物で7.9%、油糧作物で11.0%、野菜で10.4%の収穫減とするものから、穀物・油糧作物で20%近くの削減を予測する研究もあります。専門家による国別推計によれば、減少程度は地域や作物、気候、土壌、病害虫の発生程度によって様々で、イタリアやスペイン産トマトの20%減、イタリア産オリーブの30%減など収穫減の予測が大きい作物もあります。温室での園芸野菜は20%収量減とされ、世界中でグリーンディールの目標値が採択されれば農業部門の収量が12%下落するとも推計されています。また、生産費用に占める飼料費用の割合の高い家畜産業は、飼料作物収量減による飼料価額の高騰による打撃が大きいことが推計されました。

しかしながら、論稿は、既存の分析の多くが、全ての作物への50%農薬削減による収穫減の仮定に基づいていることを指摘します。論稿は、農薬削減への道筋は一律ではなく、複合的に捉えるべきと主張します。

まず、論稿は、都市部緑地など農地・食料・飼料セクター以外における農薬削減の重要性を強調します。例えば、先進国において繊維・サービスや必ずしも栄養に直結しない食料生産に関連する農薬使用は37%にもおよび、各国が農薬削減50%ターゲットをこうした分野で集中して実現することで食料・飼料安全保障への負のインパクトを軽減できる可能性を指摘しました。

論稿は、さらに、国ごとに異なる作物に優先順位がある一方、全ての作物や地域で一律に農薬使用とリスクを50%削減するのは非現実的であるとし、農薬に代わる栽培管理が可能な作物に傾斜して農薬削減を実現することで、既存の研究が推計するよりも生産・価格・貿易への影響が緩和できるのではないかとしています。

論稿が指摘するように、農薬使用度は (1)生物学的要因-害虫の多さ、ローカルな天候・土壌タイプ・作物多様性、(2)農学的要因-耕起・播種日・品種・施肥・ローテーションに関する意思決定、(3)経済的要因-予測される収量や圃場レベルでの経済・財政状況、(4)社会的・政治的要因、といった複数の要因に依存し、極めて複雑です。その結果、農薬利用の状況は、世界で極めて多様であり、小さな国一つをとっても地理的な多様性を示します。世界的に見れば、各国の農薬による環境汚染リスクの違いを説明する要因の3分の1が、食料システムの在り方と農薬規制事情によるとされています。一方、多くの研究が指摘するように、農薬使用の程度は年ごとや一つの国の地域間差だけでなく、同様の環境・社会経済条件にある農家間でも大きい差があります。

論稿は、SURのもとで提案されている圃場レベルでの農薬使用ログブック(日誌)が、農薬削減戦略策定に欠かせない重要なデータを提供することに期待を寄せます。このようなデータは、病害虫リスクを高めることなく収量減を回避しながら農薬削減を可能にする意思決定や、各国の食料飼料安全保障ニーズとのバランスを配慮した作物・地域・セクター間の優先順位付けに役立ちます。技術的な進展により効率性を大幅に改善することで、戦略的な農薬適用を可能にします。

また、農薬削減指標はリスクベースのため、有効成分の変更によって農家が使うことのできる農薬管理ツールに影響を与えることなく、環境・社会的便益の達成も可能かもしれません。生物農薬や天敵等の利用による生物的防除などのアプローチを用いることで有効成分を毒性の弱い化学物質による有効成分に変更する可能性もあります。

総合的病害虫管理(IPM)も理想的には生物的抵抗性を持つ品種に基づくべきです。重層的な抵抗性を持つ品種は、農薬使用の大幅な削減を可能にする植物防除についてシステム的な再考を可能にします。SURターゲットの実施にあたり、最新の育種ツールを駆使した生物的抵抗性品種の育種が奨励されます。

農業における農薬削減は、IPMの原理にのっとって、植物防疫の補完的戦略に関する様々な知識を駆使するべきです。作物収量を維持することは食料・飼料安全保障にとり決定的に重要です。EUにおける農薬使用削減は収量削減をもたらす可能性があるとの研究は、あくまで50%農薬削減を全ての作物に適用した場合の上限値ではあります。実際には、50%削減の全てを食料・飼料生産が負担する必要はなく、農家・地域・作物ごとの農薬適用の違いを削減計画に活かし、毒性の少ない有効成分への変更や有機農業の拡大において、SURが農薬にかわる農学・技術的選択肢を提供する可能性があります。そして農薬削減は持続的な作物収量を支えるエコシステムサービス維持に貢献するはずです。最後に、SURは農薬使用に関するデータ収集を向上することで、より持続的な食料システムに関する研究・政策のボトルネック解消に貢献するでしょう。


(参考文献)
Schneider, K., Barreiro-Hurle, J. & Rodriguez-Cerezo, E. Pesticide reduction amidst food and feed security concerns in Europe. Nat Food 4, 746–750 (2023). https://doi.org/10.1038/s43016-023-00834-6

 

(文責:情報プログラム トモルソロンゴ、飯山みゆき)
 

 

関連するページ