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510. 安易に翻訳尺度を使用することに対する警鐘

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510. 安易に翻訳尺度を使用することに対する警鐘

開発援助の分野では近年、世界銀行国連の報告書で全面的に取り上げられるなど、心理学研究、その中でも特に行動変容をもたらす知見への注目が高まっています。農業技術の普及は、もちろん優れた技術や知見を開発することも重要ですが、対象となる人たちがそれまでの行動パターンを変えて新しい技術を使うようになって初めて効果があったといえるからです。そこで、国際農研がマダガスカルで実施しているSATREPS「肥沃度センシング技術と養分欠乏耐性系統の開発を統合したアフリカ稲作における養分利用効率の飛躍的向上」(FY VARYプロジェクト;2017.5-2022.9)(https://www.jircas.go.jp/ja/satreps)では、途上国での農業開発における心理学研究に精通する山梨英和大学の佐柳教授が中心となり、より効果的な農業技術の普及要因を明らかにする心理学研究に取り組んでいます。

佐柳教授たちは、JICAの技術協力プロジェクトPaprizの協力のもと、農家たちの稲作研修への参加動機づけを定量的に測定する方法の開発から着手しました。発展途上国の貧困層を対象とした心理測定方法についての研究は前例がなく、高所得国で使われている測定方法が果たして心理学の概念を正確に測定できているかエビデンスが今までは存在しませんでした。具体的には、心理学では「リッカート法」と呼ばれる、測定しようとしている心理現象を表す意見に対して同意する程度を4段階などで回答させて得点化する方法がよく使われます。途上国の研究でも高所得国で開発されたリッカート法の尺度が翻訳して使われることがありましたが、文化や習慣の異なる国の記述が正確に測定できるとの保証はないため、Fy Varyプロジェクトでは尺度を新しく開発するところから始めたのです。

研究の結果、高所得国でよく使われているリッカート法は、マダガスカルの貧しい農家には有効でないことが明らかになりました。たとえば、研修に対する自律的な動機づけの測定を意図する「私はこの研修が興味深いから参加している」という設問に対して、回答者全員が「強くそう思う」という満点の回答をするなど、ほとんどの設問に対して全員が同じ回答をしてしまったのです(回答者を個別に質問したにもかかわらず)。心理尺度の最大の目的は個人差を明らかにすることなので、全員が同じ回答をするような尺度は役に立ちません。このあと、質問の内容や方法を4度に渡って修正し、最終的には「あなたは、どのくらいの頻度でこの研修が興味深いと思って参加していますか?」と二人称で質問し、選択肢も「いつも」「よくある」「あまりない」「ほとんどない」の4段階で回答する方法であれば十分に個人差が測定できることがわかりました。この成果は「パーソナリティ研究」誌で論文として発表されました。

今後も開発援助の文脈で途上国での心理学研究が増えると予想されるので、この結果は今後のより妥当な心理測定方法の一助になると期待されます。一方で、高所得国で開発された心理尺度を単に現地語に翻訳して使用してきたこれまでの研究の知見に対して疑義を投げかけるため、安易に翻訳尺度を使用することに対する警鐘ともなります。

また、心理学研究で広く用いられているリッカート法が有効でない場面があることを明らかにしたことは、心理学会に少なからず衝撃を与えています。同論文は、「自分の常識を世界の常識と捉えることへの歪み」を示す具体例として、日本心理学会の広報誌のエッセイ(「説明不要」平石界氏、慶應義塾大学教授)でも、「全サイコロジストが泣いた感動の論文」として取り上げられるなど、マダガスカルで実施したフィールド研究の重要性が広く評価されています。

(参考文献)
Nobuo R. Sayanagi、 Tsinjo Randriamanana、 Harisoa S. A. Razafimbelonaina、 Nirina Rabemanantsoa、 Henri L. Abel-Ratovo、 Shigeki Yokoyama (2021) Development of a Motivation Scale in Rural Madagascar: The Challenges of Psychometrics in Impoverished Populations of Developing Countries. パーソナリティ研究. 30(2): 56-69.

(写真撮影者:Tsinjo Randriamanana氏、FOFIFA)

(文責:生産環境・畜産領域 辻本 泰弘、山梨英和大学 教授 佐柳信男)