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712. 土壌の多様性保全に向けた国境を越えた政策の必要性

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712. 土壌の多様性保全に向けた国境を越えた政策の必要性

 

土壌中のあらゆる生命体の多様性を表す「土壌の生物多様性」(soil biodiversity)。

約1グラムの小さじ一杯の土 に少なくとも10 億の細菌細胞、 100 万個の菌類や 数百の線虫などが生息すると言われています。さらに昆虫やクモ、ミミズにモグラといった節足動物から哺乳類まで、あらゆる生き物の存在が土壌の多様性を形成しています。土壌の多様性を守ることは健全で持続可能な土壌の維持に繋がります。

一方、世界を見渡すと、都市化、自動化、病気の発生、自然災害、さらには戦争など、多くの要因が土地利用の変化をもたらし、その一環で土の回復機能が低下しています。土壌の健全性で世界が繋がっている一例として、ブラジルで栽培される飼料用大豆が欧州や中国に輸出され、過剰な窒素等の集積をもたらしていることが挙げられます。あらゆる環境問題と同様、土壌の健全性と生物多様性の保全は特定の国や地域の枠を超えた地球規模課題でもあります。土壌の多様性の保全には国境を越えた総合的で包括的なルール作りと各国間の連携が求められています。

 

多くの場合「生物多様性の保全」という表現で思い付くのは鳥や蝶、動植物といった地上部の生き物に対する絶滅危機からの保全でした。対して、土壌の多様性については、これまでほとんど注意が払われることはありませんでした。そんな中、環境問題への熱心な取り組みで知られる欧州連合(EU)は、土壌戦略2030にて欧州および域外を超えて土壌の健全性の回復を目指すことを謳っています。2050年までにヨーロッパ全体で土壌の健全性を達成するという野心に向け、将来世代のために健康な土壌からのエコシステムサービスを維持することを認めた初めての包括的な土壌保全法を提案することも報道されています。土壌の健全性維持は持続的社会の実現のために重要ですが、どう実現するかが課題です。そして実現には、土壌の健全性をどのように測るかが課題になります。今回Science誌に掲載された論稿、「土壌の多様性保全に向けた国境を越えた政策の必要性」から、土壌の多様性保全が抱える課題を紹介したいと思います。

 


~指標作りの難しさ~
単なる土壌の質(soil quality) -主に化学的要素を指し、作物収量生産の維持に必要な特性- とは一線を画し、土壌の健全性(soil health)はより全体的な概念であり、土壌が提供する全てのエコシステムサービスを網羅する必要があります。 土壌の健康状態を測定するには、土壌の生物学的、化学的、および物理的特性に関する多くの情報が必要ですが、こうした指標の測定は個人の土地所有者の手に負えません。片手分の土壌だけでも、ウイルス・細菌・古細菌・菌類・原生物・線虫・ミミズそのほか無脊椎動物をはじめ、5000以上もの分類群を含み、植物や有機堆積物などを養分としながら地下の食物網を形成しているため、全ての土地を対象に土壌生物の多様性を網羅的に分類することは莫大な費用がかかるのです。EU土壌戦略は、生産者に対し「畑の土を無料で検査する」(test your soil for free)取り組みを打ち出しています。こうした試みは評価されますが、検査の多くは標準化されていません。また、地域レベルの土壌類型が調査済みであったとしても、圃場等ローカルレベルでも土壌条件は極めて多様です。さらに、高収量品種の栽培に化学肥料や農薬・機械的な耕起が行われる中、土壌の食物網全体の複雑性と機能を踏まえたうえで、土壌の健全性を評価するシステムが求められます。このような複雑性を捉えるシンプルな指標を提案できるかが課題となります。

 

~土壌の多様性に対する評価の難しさ~
生物多様性条約によると、生物多様性は遺伝子~エコシステム~ランドスケープにおける生物の多様性として定義されていますが、土壌の生物多様性の場合、動植物のように明確な分類が微生物に応用しづらいという課題があります。分子同定技術を使うことで、土壌の生物多様性を構成している要素が絶滅危機に瀕しているかどうか判定可能になるかもしれませんが、特定の土壌生物を「レッドリスト(絶滅危惧種リスト)」に含めるべきかについて、余りに知らないことが多すぎます。例として、南極の氷河谷群におけるバクテリアを食する線虫(Scottnema lindsayae)のように、単独の土壌生物が養分循環に重要な機能を果たしており、かつ温暖化の脅威にさらされているようなケースです。

 

~データ公開などによる人々の理解の促進~
以上述べたような土壌生物多様性の分析をめぐる課題にもかかわらず、進展もあります。国際機関や大学等の協力により、グローバルな土壌生物多様性アトラスやアセスメントなど、土壌分類データが一般に公開されたことで土壌への関心が高まりました。今後、どのように土壌を観測し測定していくかについてはまだ議論の余地がありますが、長期的なデータ蓄積のための重要な取り組みに弾みがついたといえます。

 

~「土壌保全」におけるグローバル連携~
冒頭で紹介したブラジルの大豆生産のように、自国の消費活動によって他国が影響を受けることがあります。一地域での土壌保全が、他地域における土壌健全性の喪失に繋がる可能性もあります。複雑に絡み合う国際貿易を通じた食料システムにおいては、土壌の多様性保全に国境を越えた連携が必要となります。

 

~今あるものを守る~
土壌の生物多様性保全の取り組みには、不確実性が多く、発展途上ではありますが、今足元にある土を守り、再生に向けて取り組み始めることが肝要です。企業は短期的な利益より長期にわたる持続性を重視したビジネスモデルに移行し、国はその後押しとなる政策を打ち出さなければなりません。枯れてしまった土のもとでは、持続可能なビジネスモデルは成立しません。ゆえに、土壌の保全、土壌の生物多様性、および土壌の健康は、すべての国と地域の政策優先順位リストの上位に位置付けられるべきです。

 

(参考文献)
Van der Putten WH, et al. (2023) Soil biodiversity needs policy without borders. Soil health laws should account for global soil connections, SCIENCE, 5 Jan 2023. Vol 379, Issue 6627, pp. 32-34 https://www.science.org/doi/10.1126/science.abn7248


(情報プログラム トモルソロンゴ 飯山みゆき)

 

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