研究成果
雑穀シコクビエが分泌する硝化抑制物質を初めて同定
―低窒素条件栽培の雑穀が生み出す新規BNI天然物質を発見―
令和8年5月8日
国際農研
農研機構
テクモフ株式会社
東京科学大学
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ポイント
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概要
国際農研は、農研機構、東京科学大学、同大学認定ベンチャーのテクモフ株式会社と共同で、雑穀シコクビエの根から分泌される生物的硝化抑制 (BNI)1) 物質を世界で初めて同定し、その化学構造を解明しました。シコクビエは、主要穀物に比べて過酷な環境への耐性が高く、かつ栄養価にも優れることから、サハラ以南アフリカや南アジアの半乾燥地域を中心に重要な作物と位置づけられています。気候変動が進行する中で、その役割は今後さらに高まると考えられます。一方で、農耕地土壌における窒素の硝化抑制は窒素利用効率の向上に寄与する重要な機構ですが、シコクビエが分泌するBNI物質の実体については、これまで明らかにされていませんでした。
研究グループは、低窒素条件で栽培したシコクビエの根分泌物から強いBNI活性を示す2種類の物質を分離し、詳細な構造解析の結果、いずれも既知の天然物質2) とは異なる新規炭素骨格を持つジテルペノイド3) であることを明らかにし、コラカノールAおよびBと命名しました。これらの物質は土壌中の硝化4) 菌の活性と増殖を強く抑制するだけでなく、葉にも蓄積し、穂を作る時期に向けて量が増加することが確認されました。
本成果により、シコクビエが自らBNI物質を作り出して土壌中の硝化を抑える仕組みの一端が分子レベルで示されるとともに、コラカノール類 (AとB) を指標として高いBNI能を持つ品種を効率的に選抜する道が拓かれました。これにより、窒素肥料への依存を抑えつつ温室効果ガス排出や水質汚染の原因となる硝化を抑制する、肥料の低投入・低環境負荷型の雑穀生産技術への展開が期待されます。さらに、新規炭素骨格を持つ天然物質としてのコラカノール類は、農業分野に加え、新しい食品機能性や薬の原料としての利用など天然物化学・ライフサイエンス分野への応用も期待されます。
本研究の成果は、国際科学雑誌『Organic Letters』オンライン版 (日本時間3月9日) にオープンアクセスで掲載されました。
関連情報
- 予算
- 戦略的国際共同研究推進委託事業 (インド共和国との共同研究分野)
運営費交付金プロジェクト「生物的硝化抑制(BNI)技術の活用による低負荷型農業生産システムの開発」 - 特許
- 出願中
発表論文
- 論文著者
- J Otaka (大髙潤之介), GV Subbarao (グントゥール V. スバラオ), S Matsumiya (松宮茂樹), N Wada (和田直樹), Y Wada (和田雄貴), M Kawano (河野正規), K Kutsuwada (轡田圭又), H Ono (小野裕嗣), and T Yoshihashi (吉橋忠)
- 論文タイトル
- Discovery of Coracanols A and B, Two Biological Nitrification Inhibition Diterpenoids from Finger Millet
- 雑誌
- Organic Letters
DOI: https://doi.org/10.1021/acs.orglett.6c00300
問い合わせ先など
国際農研 (茨城県つくば市) 理事長 長谷川利拡
- 研究推進責任者:
- プログラムディレクター 林慶一
- 研究担当者:
- 生物資源・利用領域 主任研究員 大髙潤之介
生物資源・利用領域 プロジェクトリ―ダー 吉橋忠
生産環境・畜産領域 主任研究員 グントゥール V. スバラオ - 広報担当者:
- 広報連携ユニット長 丸井淳一朗
e-mail : info-pr@jircas.go.jp
農研機構
- 研究担当者:
- 農研機構 基盤技術研究本部 高度分析研究センター 小野裕嗣、轡田圭又
- 広報担当者:
- 農研機構 基盤技術研究本部 基盤研究理事室 渉外チーム 杉山憲明
テクモフ株式会社
- 研究担当者:
- 松宮茂樹、和田直樹、和田雄貴、河野正規
- 広報担当者:
- 代表取締役CEO 坪井千明
e-mail : ctsuboi@tekmof.com
東京科学大学
- 研究担当者:
- 東京科学大学 理学院 和田雄貴、河野正規
- 広報担当者:
- 東京科学大学 総務企画部 広報課
e-mail : media@adm.isct.ac.jp
研究の背景
現代の農業では収量向上を目的に窒素肥料が大量に使用されていますが、コムギやトウモロコシなどのイネ科作物では、その半分以上が作物に利用されず、硝化によって硝酸態窒素となり、水質汚染や強力な温室効果ガスである一酸化二窒素の発生源となっています。こうした窒素起源の環境負荷は気候変動に関する政府間パネル (IPCC) 報告書においても農業分野の重要な課題として位置づけられており、各国で温室効果ガス排出削減と両立する農業生産への転換が求められています。硝化を抑制する方法としては、これまで主に合成硝化抑制剤を用いて硝化を抑える手法が検討されてきましたが、コストや環境影響の観点から限界も指摘されており、作物自身が根から放出する物質によって土壌中の硝化を抑制する「生物的硝化抑制 (BNI)」が、窒素利用効率の向上と温室効果ガス削減を同時に実現しうる新たな技術として注目されています。
一方、主要穀物中心の高投入型生産の脆弱性が指摘される中、肥料の低投入でも栽培可能で環境ストレスに強い雑穀は、国連が2023年を「国際雑穀年」と定めたことを契機に、持続的な食料システムを支える有望穀物として国際的な関心が高まっています。インドやアフリカで伝統的に栽培されてきたシコクビエは、その代表的な雑穀の一つであり、高い窒素利用効率により限られた養分条件下でも安定して生産できる作物として、環境負荷の小さい窒素管理技術と組み合わせた利用が期待されています。
研究の経緯
国際農研は、農業起源の窒素汚染と温室効果ガス排出の同時削減を目指し、作物が根から分泌するBNI物質によって土壌中の硝化を制御する技術の研究に取り組んできました。海外研究機関との国際共同研究を通じて、野生近縁種由来のBNI能を導入したBNI強化コムギの開発 (令和3年8月31日プレスリリース) や、トウモロコシ由来の複数のBNI物質の同定 (令和3年7月29日プレスリリース、令和5年6月28日プレスリリース) など、主要穀物を対象にBNI機能の解明と活用技術の開発を進めてきました。これらの成果は、窒素肥料の削減と温室効果ガス排出低減に資する技術として国内外で評価され、日本の環境配慮型農業政策とも連携した取り組みとして位置づけられています。
近年は、BNI能を強化した雑穀の開発を目指すプロジェクトも進めており、雑穀に内在するBNI機能の解明が新たな課題となっていました。特に肥料の低投入環境で栽培されるシコクビエについては、BNIに関わる根からの物質分泌やその化学構造・植物体内での動態が不明であり、BNI技術を雑穀生産へ展開するうえでのボトルネックとなっていました。そこで国際農研は、これまでに蓄積してきたBNI活性能評価や構造解析の技術、国際共同研究ネットワークを活かし、シコクビエの根から分泌されるBNI物質の探索と同定に取り組みました。本研究は、雑穀に潜在するBNI機能を分子レベルで解明し、BNI技術の対象作物を主要穀物から雑穀へと拡大することで、肥料の低投入・低環境負荷型の農業生産システムの構築に貢献することを目指すものです。
研究の成果・意義
- シコクビエを低窒素条件 (硫酸アンモニウム10 ppmを含む土壌) で40日間栽培し、根から分泌される物質を回収しました。次に、高速液体クロマトグラフィー (HPLC)5) を使って精製した結果、強いBNI活性を示す2種類の物質を見い出しました。
- 栽培試験の結果、BNI活性を示す2種の物質は低窒素条件で根と葉の両方で産生され、穂ができる時期に向けてその量が増加することが分かりました (図1)。その後、無施肥条件で60日間栽培したシコクビエの根から両物質を十分量を単離し、核磁気共鳴装置 (NMR)6)、高分解能エレクトロスプレーイオン化液体クロマトグラフィー質量分析法 (HR-ESI-LC-MS)7)、結晶スポンジ法8)、計算化学シミュレーション9)を組み合わせて構造解析を行った結果、いずれも既知の天然物質とは異なる新規炭素骨格を持つジテルペノイドであることを明らかにし、コラカノールAおよびコラカノールBと命名しました (図2)。特に物質の結晶化が困難な化合物の絶対立体配置10) の決定には、ヘキサアザフェナレン系有機金属構造体を用いた結晶スポンジ法を適用することにより構造決定に成功しました。
- 生理活性試験の結果、コラカノールAおよびコラカノールBはいずれも硝化菌による硝化と硝化菌自体の増殖を強く抑制することが分かりました (図3)。また、既報の植物由来BNI物質と比較しても高い硝化抑制活性を示す水準であることが明らかになりました。
- 以上から、シコクビエは低窒素投入条件でコラカノール類を根から分泌しながら生育していることが明らかとなり、自ら土壌中の硝化を抑制し、限られた窒素を効率的に活用しようとする自己調節機能を備えている可能性が示されました。また、コラカノールAとBが葉にも蓄積し穂をつくる時期に増加することから、地下部では硝化抑制物質として、地上部では抗菌・抗虫活性などの防御物質として機能する多面的な役割を担っている可能性が示唆されます。
今後の予定・期待
本研究により、シコクビエのBNI能を支える重要な物質がコラカノール類であることが明らかになりました。また、新規炭素骨格を持つ天然物質であるコラカノール類の発見は、農業分野に加えて、食品機能性や創薬研究など、天然物化学・ライフサイエンス分野への応用可能性も有しています。
今後は、コラカノール類分泌量の品種間差や環境応答、分泌メカニズムの解明を進めるとともに、インドをはじめとする雑穀主要生産地域の研究機関と連携し、シコクビエの高BNI系統の選抜・評価を進める予定です。これらの取り組みを通じて、肥料に過度に依存せず、持続的に高い生産性を実現する農業の普及に貢献していきます。
用語の解説
- 1) 生物的硝化抑制 (BNI)
- Biological Nitrification Inhibitionの略称で、植物自身が根から物質を分泌し、土壌中で起こる硝化を抑制する現象を指します。
- 2) 天然物質
- 生物の生存に必須なDNA、RNA、タンパク質などを一次代謝物質と呼ぶのに対し、生存に直接は必須ではないものの、各生物が特有に生産する生体物質を二次代謝物質 (天然物) と呼びます (テルペノイド、フェニルプロパノイド、アルカロイドなど)。植物では、防御や環境応答、生理機能の調節に関わる分子がこれに含まれます。
- 3) ジテルペノイド
- 植物や菌類が作る二次代謝物質 (テルペノイド) の一種で、炭素数20を基本骨格とする化合物群を指します。抗菌・抗真菌・抗虫作用など、多様な生理活性を示すことが知られています。
- 4) 硝化
- 土壌中の微生物 (硝化菌) によって、アンモニアが硝酸へ酸化される反応を指します。地球の窒素循環では重要な経路ですが、現代農業では過剰なアンモニア態窒素肥料の施用と、それに伴う急速な硝化・高濃度硝酸の蓄積が、水質汚染や温室効果ガス排出の原因になっています。土壌中の硝化速度を低く維持できれば、作物による施肥窒素の吸収量が増加し、窒素利用効率の向上、減肥および環境負荷の低減につながります。
- 5) 高速液体クロマトグラフィー (HPLC)
- High Performance Liquid Chromatographyの略称です。多種類の成分を含む混合物をカラムに通し、高圧で溶媒を流すことで、成分ごとの性質の違いに応じて分離する分析装置です。化合物の分離・精製や定量に広く用いられています。
- 6) 核磁気共鳴装置 (NMR)
- Nuclear Magnetic Resonanceの略称です。強い磁場中で原子核が示す「核磁気共鳴」現象を利用して、分子の構造や性質を解析する装置です。医薬品、農薬、食品など多様な分野で活用されています。
- 7) 高分解能エレクトロスプレーイオン化液体クロマトグラフィー質量分析法 (HR-ESI-LC-MS)
- High-Resolution Electrospray Ionization Liquid Chromatography–Mass Spectrometry の略称です。液体クロマトグラフィー (LC) で成分を分離し、エレクトロスプレーイオン化 (ESI) でイオン化して質量分析 (MS) で高分解能測定を行う精密分析法で、分子量や組成の正確な決定に用いられます。
- 8) 結晶スポンジ法
- 多孔性金属有機構造体 (MOF: Metal Organic Framework) と呼ばれるスポンジ状の結晶に微量の物質を取り込ませ、その内部で分子を整列させることでX線結晶構造解析を可能にする手法です。結晶化が難しい物質でも、構造を原子レベルで決定できる先端的な分析技術です。
- 9) 計算化学シミュレーション
- コンピューター上で分子の構造やエネルギーを計算し、物質の立体構造や性質を理論的に予測・検証する手法です。得られた計算結果を実験データと比較することで、分子の立体配置 (立体化学) を裏付けることができます。本研究では、農林水産研究情報総合センターのスーパーコンピュータを利用して計算を行いました。
- 10) 絶対立体配置
- 分子内の原子が三次元的にどの向きに並んでいるかを一意に定めた立体構造を指します。分子は平面でなく立体構造をとり、同じ組成でも右手型・左手型のように鏡像関係にある場合があります。絶対立体配置が異なると生理活性が大きく変わることもあるため、その解明は重要です。
担当研究者の声
生物資源・利用領域
主任研究員 大髙潤之介
シコクビエという将来有望な雑穀から、ユニークな構造のBNI物質を見出し、共同研究者の皆様とともにその構造を決定できたことを大変嬉しく思っております。低投入というメリットを最大限に活かせるような、雑穀の化学的研究を今後も活性化していきたいです。
(写真: インドでのシコクビエの栽培試験の視察)
図1 成長時期に伴うシコクビエの根と葉におけるコラカノール類生産量の変化
シコクビエは低窒素条件下で、根と葉の両方でBNI活性物質AおよびBを生産し、その濃度は生育に伴って増加します。
(a) シコクビエの根部と葉部(25日および60日)の抽出物の代表的なHPLCクロマトグラムを示します。物質AとBのピーク面積を比較することで、25日から60日にかけて生産量が増加していることが分かります。
(b) HPLCによる物質AおよびBの生産量のモニタリング結果を示します。穂ができる時期 (60日) に両物質の産生量がピークに達することが明らかになりました。
図2 シコクビエから同定したコラカノールAおよびBの構造
(a) コラカノールAおよびBの化学構造を示します。NMRやHR-ESI-MSを含む各種分光分析により、いずれも既知の天然物質にはない新規の炭素骨格を持つジテルペノイドであることが分かりました。
(b) コラカノールAの立体構造を解明するために、結晶スポンジ法によるX線結晶構造解析を行ないました。コラカノールAを多孔性金属有機構造体 (MOF) 内部に固定することで結晶構造解析が可能となり、その絶対立体配置を決定することができました。
図3 コラカノール類による土壌硝化菌の硝化抑制及び増殖抑制作用
左図 : シコクビエからBNI物質として同定したコラカノールAおよびBの添加が、硝化菌によるアンモニアから亜硝酸への変換をどの程度抑制するかを示します。72時間後、100 µM コラカノールAと250 µMコラカノールBを添加した条件では、コントロール (無添加) と比較して99%程度の亜硝酸の発生を抑制しました。また、30 µMコラカノールAを投与した条件と100 µM コラカノールBを投与した条件を比較すると、ほぼ同程度の硝化抑制を示したことより、コラカノールAの方がBよりも約3倍強い活性を持つことがわかりました。
右図 : 硝化菌にコラカノールAを投与した条件 (右側) と無投与の対照条件 (左側) で7日間培養した後の培地の様子を示します。対照条件では増殖した硝化菌により白濁していますが、コラカノールA存在下では硝化菌の増殖が抑制されていることが確認できます。