作物と微生物の多様な共生が切り拓く持続的な農業の未来
―植物ホロビオントの理解がもたらす革新的な作物開発への期待―
令和7年7月1日
国際農研
ウィーン大学
アルバータ大学
国際トウモロコシ・コムギ改良センター
マードック大学
ミシガン州立大学
ポイント
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概要
令和7年6月、国際農研とオーストリアのウィーン大学、カナダのアルバータ大学、メキシコの国際トウモロコシ・コムギ改良センター、オーストラリアのマードック大学、米国のミシガン州立大学の国際研究グループによる意見論文 (Opinion)が、Cell Press発行の米国国際植物科学総説雑誌『Trends in Plant Science』に掲載されました。
本論文では、作物とその共生微生物の相互作用における自然な多様性を作物開発に活用することで、環境に配慮した持続可能な農業の実現を提唱しています。特に、植物の進化が植物と微生物の相互作用に大きく影響されてきた点に着目し、植物と共生微生物の集合体「植物ホロビオント1)」の分子生態を解明することの重要性を強調しています。
近年、持続可能な農業分野で注目を集めている「生物的硝化抑制 (BNI)2)」については、国際農研が世界に先駆けてその自然現象を発見し、その活用方法の確立を進めてきました。こうした自然現象の積極的な活用は、持続的な農業に多様な恩恵をもたらすことが期待されます。
さらに本論文では、植物ホロビオントにおける自然な多様性の理解を深めるための研究の道筋を提案しています。このアプローチは、作物の成長促進、ストレス耐性、窒素利用効率の改善、BNIの活用、健全な土壌の維持、そして自然に近い施肥方法の確立など、現代農業が直面する様々な課題に対応するものです。また、これまで活用されてこなかった遺伝資源から新たな遺伝的多様性を発見し、育種に活かすため、メタボロミクス3)、プロテオミクス4)、数理モデルを統合した「PANOMICSアプローチ5)」と、ゲノムワイド関連解析 (GWAS)6) を組み合わせることを提案しています。これにより、根の分泌物や土壌微生物叢7) の構成、BNI活性などを制御する植物の遺伝子候補を特定することが可能になります。
こうした取組を通じて、農業生態系における植物ホロビオントの自然な多様性を深く理解することが、気候変動に強い新たな作物品種の開発と食料安全保障の実現におおきく貢献すると示唆しています。
国際農研は、世界に先駆けて開発したBNI技術8) の知見を基に、窒素肥料に由来する農業からの環境負荷を軽減する技術の開発を目指しています。令和3年8月31日プレスリリース「世界初!少ない窒素肥料で高い生産性を示すコムギの開発に成功」など、BNI技術の実用化に向けた研究を推進するとともに、国際的なBNI研究を束ねるBNI国際コンソーシアム9)を主宰しています。今後も、コンソーシアムメンバーとなる各研究機関と連携し、BNIのより深い理解とBNI技術の持続的な農業への活用に向けた国際共同研究を推進していきます。
関連情報
- 予算
- 運営費交付金プロジェクト「生物的硝化抑制 (BNI) 技術の活用による低負荷型農業生産システムの開発」
発表論文
- 論文著者
- W. Weckwerth (ウィーン大学ウィーンメタボロミクスセンター ウォルフラム レックワース), P. Chaturvedi, A. Ghatak, M. Kerou, V. Garg, A. Bohra, G.V. Subbarao (国際農研 グントゥール V. スバラオ), L. Stein, C. Schleper, R.K. Varshney, S. Snapp
- 論文タイトル
- Natural variation of the holobiont for sustainable agroecosystems
- 雑誌
- Trends in Plant Science
DOI: https://doi.org/10.1016/j.tplants.2025.05.006
問い合わせ先など
国際農研 (茨城県つくば市) 理事長 小山修
- 研究推進責任者:
- プログラムディレクター 林慶一
- 研究担当者:
- 生産環境・畜産領域 グントゥール V.スバラオ
- 広報担当者:
- 情報広報室長 大森圭祐
プレス用 e-mail:koho-jircas@ml.affrc.go.jp
用語の解説
- 1) 植物ホロビオント
- 米国の進化論学者リン・マーギュリスが提唱した「ホロビオント」(複数の異なる生物が共生関係を築き、不可分の1つの全体を構成する状態) の概念を植物に適用したものです。植物を個体としてではなく、その生育環境に関わる微生物など多様な生物種を1つの植物ホロビオントとして捉えています。
- 2) 生物的硝化抑制 (BNI)
- Biological Nitrification Inhibitionの略称で、植物自身が根から分泌する物質によって土壌中の窒素の硝化を抑制する現象です。硝化とは、土壌中の微生物 (硝化菌) が、アンモニア態窒素 (作物が吸収できる形態) を硝酸態窒素へと酸化する過程を指します。アンモニア態窒素は硝酸態窒素に比べて土壌に吸着されやすく、降雨時に下層土へ流亡 (溶脱) しにくいため、根圏土壌の硝化速度を低く維持できれば、作物による窒素吸収効率が向上し、減肥が可能となります。これにより、硝酸態窒素に起因する環境問題の低減にも繋がります。
- 3) メタボロミクス
- 個体や組織、体液など主に生体内に含まれるアミノ酸や有機酸、脂肪酸などの低分子化合物を中心とした代謝物質 (メタボライト) の総体を網羅的に分析・解析する手法です。
- 4) プロテオミクス
- 生体内の細胞、組織、体液などに含まれるタンパク質を包括的に解析する手法です。バイオマーカー探索、病因解明、タンパク質間相互作用の同定など、様々な分野で応用されています。
- 5) PANOMICSアプローチ
- ゲノミクス (DNA解析)、トランスクリプトミクス (mRNA解析)、メタボロミクス (代謝物解析)、プロテオミクス (タンパク質解析) など、生体内などに存在している分子を網羅的に解析し、得られたデータを数理モデルを用いて俯瞰的に活用する手法です。
- 6) ゲノムワイド関連解析 (GWAS)
- 在来品種や実用品種を対象に、次世代シーケンサー解析により得られる染色体 (ゲノム) 全体のDNA配列の違いと、品種の表現型 (特性) を関連付けて解析する手法です。これにより、特性に関わる遺伝子候補を高精度に予測でき、品種開発の効率化が図れます。
- 7) 土壌微生物叢
- 根の周辺 (数mm以内) の根圏には、土壌1gあたり100億もの土壌微生物が存在するとされ、様々な機能を有していると考えられています。植物と土壌微生物には相互作用があり、その活用が期待されています。
- 8) BNI技術
- BNI現象を食料生産システムで活用する技術をBNI技術 (BNI-technology) と呼んでいます。BNI強化コムギによる環境にやさしい生産技術や、BNI能の高いブラキアリア牧草を活用した輪作体系などの開発が進められています。
- 9) BNI国際コンソーシアム
国際農研を中心にBNI研究に関わる国内外の機関が参加し、平成27年に結成された国際的な組織です。2年に一度会議を開催し、BNI研究の進捗や今後の研究方針、農業現場への技術導入、社会経済や環境への影響評価などを議論しています。令和6年12月3~6日には第5回会議が茨城県つくば市で開催されました。