研究成果
サバクトビバッタの乾燥適応戦略を解明
―卵黄の温存が幼虫の生存期間を延長―
令和7年5月29日
国際農研
フランス国際農業開発協力センター
モーリタニア国立サバクトビバッタ防除センター
サバクトビバッタの乾燥適応戦略を解明
―卵黄の温存が幼虫の生存期間を延長―
ポイント
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概要
国際農研は、フランス国際農業開発協力センター、モーリタニア国立サバクトビバッタ防除センターと共同で、サバクトビバッタ (以下、バッタ) の胚1) が過酷な砂漠環境、特に乾燥条件下でどのように生存率を高めているかを明らかにしました。
サハラ砂漠に生息するバッタは、しばしば厳しい乾燥と餌資源の乏しさに直面します。ふ化直後の幼虫が生き延びるためには、独自の適応戦略が必要とされてきましたが、その詳細はこれまで不明でした。
今回の研究により、乾燥条件下でふ化した幼虫は、湿潤条件下の幼虫と比べて小型でありながら、体内により多くの卵黄 (脂質) を残した状態でふ化することが分かりました。こうした幼虫は外部から餌を得られない場合でも、通常の個体よりも約2倍長く生存できることが確認されました。飢餓状態に陥った幼虫では、体内の卵黄がほぼ消耗されており、また、卵から卵黄を摘出して作出した幼虫では、生存期間の延長は見られませんでした。これらの結果から、温存された卵黄は「お弁当」のようにふ化後のエネルギー源として利用されていることが示唆されました。
本研究成果は、乾燥環境への適応戦略として、胚が限られた資源である卵黄の配分を柔軟に調整し、ふ化後に餌資源が乏しい状況でも生存の可能性を高めていることを示しています。こうした自然環境への適応メカニズムの解明は、将来的にバッタの個体群動態をより精度高く予測する手法の開発に繋がると期待されます。
本研究成果は、国際科学専門誌「PNAS Nexus」オンライン版 (日本時間2025年5月28日) に掲載されました。
<関連情報>
- 予算
- 運営費交付金プロジェクト「生態に基づく越境性害虫の環境調和型防除体系の構築」
科研費 (No. 15K18808、 21K05627)
発表論文
- 論文著者
- Maeno, K.O., Piou, C., Leménager, N., Ould Ely, S., Ould Babah Ebbe, M.A., Benahi, A.S. and Jaavar,M.E.H.
- 論文タイトル
- Desiccated desert locust embryos reserve yolk as a 'lunch box' for post-hatching survival
- 雑誌
- PNAS Nexus
DOI: https://doi.org/10.1093/pnasnexus/pgaf132
問い合わせ先など
国際農研 (茨城県つくば市) 理事長 小山 修
- 研究推進責任者:
- 国際農研 プログラムディレクター 藤田 泰成
- 研究担当者:
- 国際農研 生産環境・畜産領域 主任研究員 前野 浩太郎
- 広報担当者:
- 国際農研 情報広報室長 大森 圭祐
プレス用 e-mail:koho-jircas@ml.affrc.go.jp
研究の背景
サバクトビバッタ (以下、バッタ) は半乾燥地域に生息し、突発的な大発生によって深刻な農業被害をもたらします。2020年から2021年にかけては、東アフリカと南アジアで大規模な発生が報告され、その被害の甚大さが改めて注目されました。こうしたバッタの大発生は予測が難しく、迅速な対応には事前の備えが不可欠です。しかし、発生後に対策を講じるには一定の時間を要するため、気象条件と連動した個体群の変動を予測できる技術の開発が求められています。そのためには、砂漠という過酷な環境、特に高温や乾燥といった条件下で、バッタがどのように適応し生存しているのか、その仕組みを明らかにすることが重要です。
研究の経緯
国際農研では、サハラ砂漠におけるバッタの繁殖戦略の解明を目指し、西アフリカ・モーリタニアに広がるバッタの生息地で継続的な野外調査を実施してきました。これまでの研究により、性成熟したバッタ成虫は、雌雄いずれかに性比が偏った集団を形成し、日中にオスの集団に産卵直前のメスが飛来して交尾すること、さらに交尾後もオスはメスの背中に乗ったまま「交尾後ガード」を続け、夜間にペアで集団産卵することを明らかにしました (令和3年10月12日プレスリリース)。また、一部のメスは産卵が遅れ、翌日の日中の高温下ではオスが「日傘」のようにメスを覆い、産卵中のメスを高温から保護していることも明らかにしました (令和6年9月20日プレスリリース)。
バッタは湿った地中に産卵しますが、ふ化までの約2週間、卵内の胚は乾燥ストレスにさらされるリスクがあります。さらに、ふ化直後は餌資源が乏しい可能性が高く、厳しい初期生活条件に適応する必要があります。そこで本研究では、バッタの胚が乾燥環境にどのように適応しているかを明らかにするため、フランスの国際農業開発協力センター (CIRAD) の研究室とモーリタニアに広がるサハラ砂漠の野外環境において実験を行いました。
研究の内容と成果
- 集団飼育下で得られた群生相2) の卵を、湿潤または乾燥条件にさらした結果、乾燥条件下でふ化した幼虫は湿潤条件下でふ化した幼虫に比べて小型で、体内に多くの卵黄を保持していました (図1と図2)。
- ふ化後、幼虫を飢餓条件下に置いたところ、湿潤条件下でふ化した大型個体よりも、乾燥条件下でふ化した小型個体の方が約2倍長く生存しました (図3)。また、飢餓条件下で活動を停止した幼虫では、体内の卵黄 (脂質) がほぼ消耗されていたことが確認されました。さらに、卵に小さな孔をあけて卵黄を摘出し、卵黄を持たない小型の幼虫を作出した場合には、生存期間は長くなりませんでした (図3下側)。
- これらの結果から、体内に温存された卵黄は、移動中にエネルギーを補給できる「お弁当」のようにふ化後のエネルギー源として機能し、飢餓耐性の向上に寄与していることが示唆されました。これにより、ふ化後に乏しい餌資源に到達できる可能性が高まると考えられます。胚が柔軟に卵黄の配分を変えることで、過酷な砂漠環境に適応し、ふ化後の生存率を高めていることが示されました。
- さらに、群生相は孤独相2) より産卵数が少ないものの、より大きな卵を産みます。乾燥条件下で大型卵からふ化した幼虫は卵黄を多く温存し、飢餓条件下で長く生存しました。群生相では卵を大きくすることで、ふ化後の厳しい環境下でも幼虫の生存率を高めていると考えられます。
今後の予定・期待
本研究により、バッタが過酷な乾燥条件下でもふ化後の生存率を高める仕組みが明らかになりました。今後は、産卵の時期や場所、ふ化のプロセスなど、生息環境に適応したメカニズムをさらに深く理解する研究が求められます。これにより、より効率的かつ的確なバッタ防除技術の開発に繋がり、環境や人の健康に配慮した持続可能な防除が可能になることが期待されます。
用語の解説
- 1) 胚
- 昆虫が卵内で発育している段階のこと。バッタでは、卵内で器官形成が進み、基本的な体の構造を形成中の個体を指す。
- 2) 群生相と孤独相
- 低密度下で育ったバッタは孤独相、一方、高密度下で育ったバッタは群生相と呼ばれる。混みあいに応じて形質が変化するこの現象は、相変異と呼ばれている。
担当研究者の声
生産環境・畜産領域
主任研究員 前野浩太郎
サバクトビバッタは大きな農業被害をもたらすことから、人々に嫌われがちですが、過酷な環境を生き抜く適応力には驚かされ、そのたくましさに深い敬意を抱いています。今回明らかになった「お弁当」のような卵黄の温存も、他の生物ではほとんど知られていない、実に興味深い適応力です。バッタを憎むのではなく、愛情をもって、これからも彼らの生態解明に取り組んでいきます。