研究成果
スーパー作物「キヌア」の塩排出機構の一端を解明
―塩害に強い作物の創出に向けた道を切り拓く―
令和7年6月25日
国際農研
名古屋大学
理化学研究所
京都大学
国際協力機構
生研支援センター
ポイント
|
概要
国際農研は、名古屋大学、理化学研究所、京都大学と共同で、長年謎とされていた、高い耐塩性をもつスーパー作物「キヌア」の塩排出機構の一端を明らかにしました。
キヌアは優れた栄養バランスをもつ一方、過酷な環境でも栽培できることから、気候変動による劣悪な環境において貴重な食料源となることが期待されます。国際連合食糧農業機関 (FAO) は、2013年を「国際キヌア年」に定め、キヌアが世界の食料・栄養問題の解決に貢献し得る重要な作物であることを広く発信してきました。さらに、南米アンデス原産のキヌアは、栄養バランスに優れているため、米国航空宇宙局 (NASA) が宇宙飛行士の食料として注目してきたほか、近年はスーパーフードとして世界的な人気が高まっています。
これまでに、私たちは、キヌアがなぜ過酷な環境でも生育できるのか、その耐塩性メカニズムの解明を目指して研究を進めてきました。本研究では、キヌアの幼植物が、多くのほかの植物が枯死してしまう海水レベルの濃度 (600 mM) の塩化ナトリウム (NaCl) 存在下においても、阻害を受けることなく生育できることを示しました。また、地上部への塩の取り込みが、その系統の栽培地域によって異なる傾向があることを示しました。南米ボリビアのウユニ塩湖周辺の高濃度塩分土壌地域で栽培されている南部高地系統は、そのほかの地域で栽培されている系統に比べて地上部への塩の取り込みが少ないことが明らかになり、地上部に塩を取り込みにくい仕組みを獲得してきた可能性が示唆されました。さらに、本研究では、3つのナトリウム輸送体が実際にキヌアの塩の排出に機能していることを示しました。本研究の成果により、キヌアのもつ優れた耐塩性メカニズムを活用して、塩害に負けない作物を創出する道が拓かれました。今後、本成果は、世界の食料安全保障や栄養改善、SDGs目標2「飢餓をゼロに」の達成に貢献することが期待されます。
本研究成果は、国際科学専門誌「Frontiers in Plant Science」オンライン版 (日本時間2025年6月18日) にオープンアクセスで掲載されました。
関連情報
本研究は、国立研究開発法人科学技術振興機構 (JST) と独立行政法人国際協力機構 (JICA) の連携事業である地球規模課題対応国際科学協力プログラム (SATREPS) 「高栄養価作物キヌアのレジリエンス強化生産技術の開発と普及」(研究代表者 : 藤田泰成) (JPMJSA1907)、研究推進法人生研支援センター (BRAIN) が推進するムーンショット型農林水産研究開発事業「サイバーフィジカルシステムを利用した作物強靱化による食料リスクゼロの実現」(課題推進者 : 藤田泰成) (JPJ009237)、運営費交付金プロジェクト「レジリエント作物とその生産技術の開発」および科研費 (JP22K05374、JP23KK0113、JP21H02158、JP23K18036、JP23K05192、JP24K08839、JP24H00499、JP25H00935) の支援により行われました。
発表論文
- 論文著者
- Yasufumi Kobayashi (小林安文), Ryohei Sugita (杉田亮平, 名古屋大学アイソトープ総合センター), Miki Fujita (藤田美紀, 理化学研究所環境資源科学研究センター), Yasuo Yasui (安井康夫, 京都大学大学院農学研究科), Yoshinori Murata (村田善則), Takuya Ogata (小賀田拓也), Yukari Nagatoshi (永利友佳理), Yasunari Fujita (藤田泰成)
- 論文タイトル
- CqHKT1 and CqSOS1 mediate genotype-dependent Na+ exclusion under high salinity conditions in quinoa
- 雑誌
- Frontiers in Plant Science
DOI: https://doi.org/10.3389/fpls.2025.1597647
問い合わせ先など
国際農研 (茨城県つくば市) 理事長 小山修
- 研究推進責任者:
- プログラムディレクター 藤田泰成
- 研究担当者:
- 生物資源・利用領域 小林安文
- 広報担当者:
- 情報広報室長 大森圭祐
プレス用 e-mail:koho-jircas@ml.affrc.go.jp
研究の背景
地球上には約1,700万平方キロメートルもの塩害地域があり、今後もその面積は拡大していくことが予測されています。しかしイネ、ダイズなどの主要作物は塩害に弱く、塩害が作物収量の減少に及ぼす影響が危惧されています。そこで国際農研は、これまでイネやダイズなどの主要作物についてレジリエンス1) や栄養価を高める研究を行ってきました。一方で、作物の多様性向上の観点から、低利用作物2) を活用する研究にも先駆的に取り組んできました。近年、国際農研は、低利用作物のうち、必須アミノ酸やミネラル、ビタミンなどをバランスよく豊富に含む優れた栄養特性と、干ばつなどの過酷環境に対する高い適応性を併せもつキヌアに注目しています。キヌアは、南米ボリビアのウユニ塩湖の周辺でも栽培されており、高塩濃度環境でも生育できることが知られています。しかし、キヌアのもつ高い塩耐性のメカニズムについては、これまでよく分かっていませんでした。
研究の経緯
国際農研などの共同研究チームは、これまでキヌアの研究において数々の重要な成果を挙げてきました。
- 2016年 : 世界初となるキヌアの概要ゲノム解読に成功 (平成28年7月26日プレスリリース)。
- 2020年 : 新たに作出した遺伝的に均質な自殖系統のコレクションを用いて網羅的なゲノム解析と表現型解析を行い、キヌアの多様性の程度を解明。(令和2年10月14日プレスリリース)。
- 2021年 : キヌアの遺伝子機能解析を可能にする遺伝子制御技術を開発 (令和3年3月18日プレスリリース)。
- 2024年 : これまで報告されていたゲノム配列の誤りを修正し、世界最高精度のキヌアゲノム配列の解読に成功。同年には、キヌアの葉の表面に存在するブラッダー細胞3) が葉の水分保持に関与していることを解明。
これらの研究成果をもとに、遺伝子型によって分類された、栽培地域が異なるキヌアの3種類の系統群 (北部高地系統、南部高地系統および低地系統) を用いて、これまで開発してきた分子レベルでの解析技術を駆使して、キヌアがもつ強い塩耐性を支えるメカニズムの解明に取り組みました。
研究の内容と成果
- 海水レベルの高塩濃度条件においてもキヌアの幼植物は生育できる
海水レベルの塩濃度である600 mM NaClの条件で、キヌアの北部高地系統、南部高地系統および低地系統各6系統ずつからなる計18系統を栽培し、塩処理開始後24時間および48時間後のキヌアの生育を調べた結果、対照区 (0 mM) と比較しても、生育に差はみられませんでした (図1)。 - キヌアの地上部へのNa+の取り込みは遺伝子型によって決まる
600 mM NaClの条件でキヌアの幼植物を栽培したところ、ナトリウム (Na+) は供試した全ての系統で根よりも地上部の子葉4) に多く蓄積されました。また、子葉におけるNa+の蓄積量は、低地系統で最も多く、次いで、北部高地系統、南部高地系統の順に少なくなりました (図2)。さらに、放射性Na+5) を用いた実験により、地上部のNa+蓄積量の系統による違いは、キヌアの地上部へのNa+の取り込み量の違いであることがわかりました。つまり、南部高地系統は、ウユニ塩湖周辺の塩濃度の高い地域で栽培されていることから、地上部に塩を取り込みにくい仕組みを獲得してきた可能性が考えられます。 - 海水レベルの高塩濃度条件で育てても、キヌアの幼植物の地上部のK+はほとんど減少しない
600 mM NaClの条件でキヌアの幼植物を栽培したところ、カリウム (K+) の蓄積量は根では顕著に減少しましたが、地上部では、ほとんど減少しませんでした。K+は窒素やリンと並んで植物の三大栄養素の一つです。一般的に、植物を高NaCl濃度条件で栽培した時に、植物体からK+が流出してしまうことが、生育阻害の大きな要因になっています。高NaCl濃度条件で栽培しても、生育に必須なK+の濃度を高く維持できる能力こそがキヌアの高い塩耐性を支えている可能性が考えられます。 - 海水レベルの高塩濃度条件で育てた時に発現する遺伝子は、遺伝子型によって異なっている
キヌアの幼植物のRNA-seq解析6) を行い、600 mM NaCl処理によって、各供試系統キヌアの地上部と根の遺伝子発現がどのように変化しているのかを網羅的に調べました。その結果、遺伝子型によって分類された系統間で発現パターンが異なっている遺伝子群を特定することができ、キヌアの塩耐性機構解明の糸口をつかみました。 - キヌアがもつ3つのNa+輸送体相同遺伝子の発現量は遺伝子型によって決まっている
キヌアには3個のNa+輸送体相同遺伝子(CqHKT1;1、CqHKT1;2およびCqSOS1遺伝子7)) が存在しています。これら3つのNa+輸送体相同遺伝子の発現量は、600 mM NaCl処理によって大きく変わることはありませんでしたが、遺伝子型によって分類された系統間で顕著に異なっていました。また、18系統のキヌアの全ゲノム解析により、これら3つのNa+輸送体相同遺伝子の発現制御領域の配列が遺伝子型によって異なっていることを確認しました。これらの結果より、遺伝子型によって、Na+輸送体相同遺伝子の働き方が違うことが示唆されました。 - キヌアがもつ3つのNa+輸送体遺伝子は、キヌアのNa+排出に関与する
VIGS法8) により、CqHKT1;1、CqHKT1;2あるいはCqSOS1遺伝子の発現を抑制したところ、いずれの場合においても、Na+が地上部により多く蓄積することがわかりました。この結果から、これら3つのNa+輸送体相同遺伝子がNa+輸送体遺伝子として実際にキヌアのNa+排出機構に機能していることを示しました (図3)。
今後の予定・期待
本研究で、高い耐塩性をもつスーパー作物「キヌア」の塩排出機構の一端を明らかにしたことにより、キヌアのもつ優れた塩耐性機構の謎を解く手がかりが得られました。今後は、キヌアのもつ優れた耐塩性メカニズムを活用することによって、塩害に負けない作物を創出できる可能性が期待されます。これにより、世界の食料安全保障や栄養改善、さらにはSDGs目標2「飢餓をゼロに」の達成に向けた貢献が期待されます。
用語の解説
- 1) レジリエンス
- 干ばつや高温によるストレスなど、作物生産にマイナスに作用するさまざまな外的な要因に耐える力と、ストレス後に回復する力のことです。
- 2) 低利用作物
- ヤムイモやアマランサス (ヒユ科) など、特定の地域において重要な作物ですが、地域を越えた普及につながる育種や生産技術の改善が十分行われてこなかった作物を指します。機会作物 (opportunity crops)、孤児作物 (orphan crops) あるいはNUS (neglected and underutilized crop species) と呼ばれることもあります。
- 3) ブラッダー細胞
キヌアやアイスプラントなど一部の塩生植物の表皮にみられる袋状に突き出した細胞を指します。塩を隔離するための細胞と考えられていましたが、近年、生物的ストレスへの防御に関わっていることも報告されています。
- 4) 子葉
植物が発芽して最初に現れる葉です。この研究では、種子から発芽して間もない幼苗 (幼植物) を用いて実験していますが、子葉は、地下部の植物器官である根に対して、地上部の植物器官です。
- 5) 放射性Na+
身のまわりにあるナトリウムイオン (Na+) と化学的な性質は同じですが、放射線を発する性質をもつ22Na+を指します。キヌアを栽培する溶液に加えることで、取り込まれた22Na+を放射線計測により追跡できます。
- 6) RNA-Seq解析
遺伝子が機能するための「転写」過程でDNAから合成されるメッセンジャーRNA (mRNA、転写産物) の配列を解析する手法です。根や葉など植物器官ごとの遺伝子発現量を網羅的に定量することができます。
- 7) CqHKT1;1、CqHKT1;2およびCqSOS1遺伝子
HKT1およびSOS1遺伝子は、シロイヌナズナなどのモデル植物でナトリウムの輸送に関わる重要なNa+輸送体の遺伝子として知られています。それらの遺伝子と配列が類似しているキヌアのゲノム上で見つかった遺伝子を指します。
- 8) VIGS法
- ウイルスベクターに外来遺伝子の一部を組み込むことにより、ウイルス感染に対する植物側の防御反応を活性化させ、植物の内在性の遺伝子の働きを抑制する手法です。
研究担当者の声
生物資源・利用領域
研究員 小林安文
過酷な環境で生存する植物を見聞きすることがあるかもしれませんが、キヌアのように過酷な環境でも栽培できる作物はほとんどありません。この写真にあるように、ウユニ塩湖の周辺のような過酷な環境でもなぜキヌアが大きく育つことができるのか、多くの謎を解明する必要があります。この謎を一つ一つ解き明かしていくことが、キヌアや他の作物が過酷な環境を乗り越えるための一歩になります。
図1 海水レベルの塩濃度条件においてもキヌアの幼植物は生育できる
地図では、遺伝子型によって分類される北部高地系統、南部高地系統および低地系統のキヌアが栽培されている地域を示しています。南部高地系統は、主にウユニ塩湖周辺地域で栽培されています。各キヌア系統の幼植物について、処理開始時の0時間目および0mM NaClあるいは海水レベルの塩濃度である600mM NaCl条件で48時間栽培した時の写真を示しています。写真中の白色バーは1cmを表しています。
図2 キヌアの地上部のNa+蓄積量は遺伝子型によって決まる
キヌアの遺伝子型によって分類される低地系統、北部高地系統および南部高地系統の幼植物を0 mM NaClまたは海水レベルの塩濃度である600 mM NaCl条件で48時間栽培し、子葉 (地上部) と根 (地下部) のNa+蓄積量について、各系統群に属する6系統ずつをまとめて示しています。地上部のNa+蓄積量は低地系統 > 北部高地系統 > 南部高地系統の順ですが、根では明確な差は認められません。
図3 3つのNa+輸送体遺伝子がキヌアのNa+排出に関与している
左側の3つの図は、VIGS法を用いて、Na+輸送体遺伝子CqHKT1;1、CqHKT1;2あるいはCqSOS1の発現をそれぞれどの程度抑制できたかを示しています。右側の図は、各遺伝子の働きが抑制されたキヌアを用いて、300 mM NaCl条件で3週間生育した際に、葉のNa+蓄積量が対照に比べて増加したことを示しています。これらの結果は、CqHKT1;1、CqHKT1;2あるいはCqSOS1遺伝子がNa+の排出に関与していることを示しています。