「この風景 石垣島のどこ!?」(34) 明和大津波遭難者慰霊之塔
明和の大津波(1771年4月24日、M7.4)による死者・不明者数は、八重山地方で9,313人(このうち石垣島8,439人)、宮古島地方で2,548人、合わせて11,861人でした。 明和の大津波に襲われる前の八重山地方の人口は3万人弱でしたが、津波の後には2万人ほどに減り、津波後約100年後の明治時代の初期には1万人程度まで減っています。 人口が減った原因は、津波による居住地域の衛生環境の悪化のほか、田畑が海水に冠水したことで農地の生産力が低下したため、飢饉や疫病等により多くの人が死んだためではないかと言われています。
(参照元:石垣島地方気象台の公式Webページ)